お酒の美味しさってなんなのか

ダシの美味しさって一言で言えば「旨みの多さ」だ。でも酒に求められる美味しさにはいくつか種類がある。

美味しさの種類は4つに分けられる(と僕は思っている)。

日本酒や日本ビール、日本ウイスキーの美味しさは「最初にフワッとしてスッと消える。余分なものが何も無いのが美味しい。なにより美しい」という考え。最近でた透明な「澄みわたる梅酒」なんかもその仲間。

これは日本文化の特徴で、例えば刺身はただ切っただけだけれど「ただ切る」という事をつきつめることで芸術にしている。

日本人はこの「余分なものはいらない」っていう考えが大好きだ。

日本人は豆腐とかコンニャクとか味がするのかしないのかわからないものが好きだ。色でいうとアイボリーやベージュが好きだ。アジアでも他の国の料理は味にメリハリが利いてる。これはかなり特殊な好みだ。

この考えを酒に求めるとコク、クセ、後味は余分なもの(雑味)になるので否定される。

日本で発泡酒がビールのかわりとして定着したのは「クセがないから」で、逆に黒ビールが定着しないのはクセがあるからだと思う。冷奴や水炊きに合わないんだ。

逆に、「クセは個性であり余分なものなんかじゃない」っていう立場もある。それが焼酎の考え方で、一般的な焼酎(昔風に言うと乙種焼酎)は単式蒸留を一回しかしない。ラム酒にしろウイスキーにしろ単式の酒ははたいてい2回かける。「素材の味を強く出すために蒸留を一回しかかけない」という明確な思想で焼酎は作られてる。

ヨーロッパのワインやウイスキー、ブランデーの場合はまた別の思想がある。「匠の技や歴史や偶然が生みだした複雑さがからまりあったバランスが美しい」という考え。ヨーロッパの酒で上流階級の飲む高級な酒といえばブランデーで、何十年も木の樽に入れて酒に木の味を染み出させている。

正直、10年以上寝かせてから出荷するような会社は経営したくない。いくら金がいるのか想像もできない。

ヨーロッパの貴族や上流階級の人間はそういう作り方で作られたものに惜しげもなく大金を払うのが「上の人間の義務だ」と思ってるから成り立っている。これはこれで珍しい文化だと思う。

最後に4つ目の思想「いつでも手に入る気軽さ」カップ酒や紙パックで売ってる焼酎(乙種焼酎)のよさ。外国の酒だとウォッカとかテーブルワインとか。

大量に生産できて通年手に入って手ごろな価格で美味しいもの。食べ物として考えるなら一番まっとうな考えのはずなんだけど、他の3つより下に見られていて安酒と馬鹿にされている。

酒は文化や生活に密接に関わっているものだけれど、生きるのに必要なものでもない。嗜好品なんだから買う側は嗜好で選べばいい。そのときの気分で決めればいい。

でも作る側はそういうわけにはいかない。色々考えないとしょうがない。まず美味しさに対する考え方をどれにするか決めて、次に作り方が決まる。酒の化学的な分析や人間の味覚の神経学的な考え等々を組み合わせて酒を作るわけだ。

次回は酒の美味しさの化学について。

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