鶯宿梅の名の由来

鶯宿梅には名前の由来になった非常に京都らしい故事がある。

帝が「庭の梅が枯れたので代わりの梅を探して植えろ」と家臣に命じた。
しばらくして植えられたのはとても素晴らしい梅だった。
帝が近くによって見ていると、枝に歌が結んであることに気づいた。

「勅なれば、いともかしこしうぐいひすの宿はと問はばいかが答へむ」
(勅命ゆえ梅を差し出すのは構いませんが、毎年この梅に遊びに来るウグイスに「ぼくの梅はどうなったの?」と問われた時に、なんと答えればよいのでしょうか?)

意味深な歌が見事な紙に見事な筆で書かれている。それを見て帝は、この梅の木の本来の持ち主は名家で高い教養のある人物で、かつ梅の木を献上する事に反対していることに気づいた。

「誰の梅だ?」と帝が問うと、実は当時の大文豪・紀貫之の娘の紀内侍の所有物で、
「父の植えた梅なんです。形見として大事にしてきたんです。父は毎年春に小鳥がとまるのを楽しんでいました。春に小鳥を見るたび父を思い出します。でも勅命なら差し出します」
という話が出てきて
「そんなもの受け取れるか!」
ということになった。

命じた以上は撤回するわけにもいかず、かといって受けとって飾ればろくでなしな上に歌の意味も分からない不教養だと笑われる。
そこで「この歌が実に素晴らしい」というのを口実に「褒美にこの梅を与える」という形で、持ち主に梅を返した

という、権力者に対して芸で対抗するという京都的なエピソードで、特に「いかが答へむ」のあたりが実にいけずだなと思う。
権力者は自制が美徳、というのは現代にも通じて面白いし、1000年以上前の話が残っているのは、権力者との関係を常に模索する必要があった京都だからこそだろう。

非常に興味深い話ではあるが、ひとつだけ気になる所がある。
警戒心の強いウグイスは人里には近づかず、梅の木にやってくるのはメジロなんだよね。
「梅の木にくるのメジロっスよ」ってだれも言わなかったので、勘違いしたまま品種名になっちゃったんだ。

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